今回は、ハンコに直接関係した内容ではありませんが、「ハンコって何?」展で展示している資料のなかに、桑山玉洲の所蔵印が押されている伊孚九(いふきゅう)という中国人画家が描いた画帖があります。
この画帖については、以前、この博物館ニュースのコラム「桑山玉洲のハンコと、玉洲旧蔵の中国絵画」でもご紹介しましたが、この画帖はアルバム状になっていることから、展示では全ての画面をお見せすることができません。
先日、ある来館者の方から、「全部の画面が見たい」というご意見をいただきましたので、この博物館ニュースの場で、ご紹介することといたしました。
ご参照ください。
山水図扇面画帖 伊孚九筆 個人蔵
(さんすいずせんめんがじょう いふきゅうひつ こじんぞう)
表紙
見返し
題字(だいじ)
第1面
第2面
第3面
第4面
第5面
第6面
第7面
第8面
跋文(ばつぶん)
裏表紙
このうち、展示しているのは、第8面です。
各面とも画像をクリックすると拡大しますので、ご興味のある方は、拡大してご覧ください。
表紙の題簽(だいせん)の下部には、「桑山氏図書記(くわやましとしょき)」(陽文長方印(ようぶんちょうほういん))という所蔵印が押されていますし、見返しの右下には、「明光浦桑嗣粲家蔵印(めいこうほそうしさんかぞういん)」(陰文長方印(いんぶんちょうほういん))という所蔵印が押されています。
また、第1面を除く、各面の右下の扇面と台紙との境界部分に、割り印のように「玉」「洲」(陽文連印(ようぶんれんいん))が押されていることがご確認いただけると思います。
なお、この画帖の見返しの直後にある題字(だいじ)は、玉洲の友人であり、大坂や京都で活躍した漢詩人であり、書家でもあった、細合半斎(ほそあいはんさい、1727-1803)が書いています。
一方、末尾にある跋文(ばつぶん)は、京都で活躍した医師であり、和歌や詩文をよくした、橘南谿(たちばななんけい、1753-1805)が書いた文章です。寛政8年(1796)の夏に玉洲を訪ねて、玉洲本人から、この画帖を見せてもらったことがわかります。
ところで、第1面から第8面まで挙げた伊孚九の図のなかには、乾6年(1741)から乾8年(1743)の年紀が記されているものがいくつかあり、また、扇面の紙質や大きさなども各図で異なるため、当初からセットで描かれたものではない可能性も考えられます。とはいえ、同じハンコがいくつか使われていたりもしますので、比べたり、探したりしてみると、おもしろいかもしれません。(学芸員 安永拓世)
→企画展 ハンコって何?
→和歌山県立博物館ウェブサイト