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激動の時代を生き抜いた渥美家

 今日(12日)、5回目のミュージアムトークを行いました。13人の参加がありました。
 トークはこんな感じです。
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 渥美家は、初め今川義元(いまがわよしもと、1519~60)に仕え、のち徳川家康(1542~1616)に召し抱えられました。
渥美家系譜1
 渥美源五郎家系譜(15)
 和歌山県立文書館蔵
 初代勝吉は天正2年(1574)長篠(ながしの)の戦いや慶長5年(1600)関ヶ原の戦いで、家康軍の一員として活躍し、元和元年(1615)頼宣に付けられ、知行2100石が与えられました。
D3A_9157.jpg     D3A_6875.jpg     渥美家系譜2
 鉄錆地六十二間筋兜   采幣 伝徳川家康所用(46)     渥美源五郎家系譜(15) 
 明珍作(45)         紀州東照宮蔵              和歌山県立文書館蔵
 紀州東照宮蔵       和歌山県指定文化財(附)
 渥美源五郎家系譜(15)には、渥美勝吉が徳川家康から拝領した品々(兜や采幣など)が記されています。
采配軍扇77-39   渥美家系譜3
 軍扇(47)             渥美源五郎家系譜(15) 
 紀州東照宮蔵           和歌山県立文書館蔵
 系譜(15)には、渥美家は徳川家康から輪抜け紋を家紋として拝領し、以後輪抜け紋を使用したことも記されています。
 渥美家2代正勝の時、徳川頼宣とともに、紀伊国に入国しました。
 9代勝都は、10代藩主徳川治宝の側用人として取り立てられ、参勤交代にも同行しています。西浜御殿に参集する文化人の一人でもありました(白圭の雅号をもつ)。勝都は、采配(46)を収納する桐箱を新調したことが、箱蓋の裏書からわかります。
 治宝の死後、治宝派の家臣に対する粛正によって、渥美家は大きく知行は減らされました。しかし、渥美源五郎家系譜(個人蔵)にから、10代勝任は御大番を勤め、幕末の長州戦争に出陣していることが確認できます。
 明治維新を迎え、11代勝尚は神奈川県の下級官吏となり、和歌山を離れたようです。
 一方、勝任は和歌山に留まり、和歌祭の再興などに尽力しています。明治20年(1887)4月、勝任が亡くなり、これと前後して、渥美家伝来の家康拝領品は、東照宮と南竜神社とに分けて寄付されました。
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 金唐革陣羽織 伝徳川家康所用(44)
 紀州東照宮蔵
 和歌山県指定文化財
 この金唐革陣羽織(きんからかわじんばおり)は、牛革の表面に、紙のように薄く延ばした金箔を貼った豪華なマント式の陣羽織です。渥美家伝来の家康拝領品の一つです。首に沿って立てる立襟(たちえり)は直線裁ちで幅が広く、合わせ目は釦(ぼたん)留めになっています。表には、南蛮渡来の金唐草の技法が用いられた牛革が使用され、裏には麻が全面に貼られています。さらに、両前と襟裏(えりうら)にはその上から小葵文の黄綾を置いています。また裾(すそ)の部分には、南方からもたらされたと考えられる植物繊維の総(ふさ)が付けられており、意匠的にみても南蛮趣味が色濃く現れた陣羽織といえるでしょう。この陣羽織は徳川家康が着用したとされています。時の権力者であった家康は、南蛮人がもたらす西洋の品々に強い関心をもっていました。家譜(15)には、天正2年(1574)の長篠の戦いで戦功があった渥美源五郎に対して、家康から「御革羽織」を下賜されたと記されています。
 南竜神社に寄付された渥美家伝来の家康拝領品は、南竜神社が東照宮に合祀された大正9年(1920)に東照宮に移されました。
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 旗指物のうち幟(49)    旗指物のうち馬印(49)
 個人蔵            個人蔵
 旗指物とは、戦場で敵味方の識別に用いられた旗のことです。これらの旗指物は、渥美家の子孫の家に伝来したものです。
 幟は細長いのが特徴で、個人や部隊の識別のために掲げたものです。スペースの関係で横に展示しています。長さが2メートルから4メートル近くにもなります。長いほうの幟の縁に、竿に固定するための乳と呼ばれる布製の筒が等間隔に付けられています。絹製で、ごく薄い水色で、上の方(展示では右の方)に太陽を示す日輪と渥美家の家紋である輪抜け紋が配置されています。短いほうの幟は麻製で、紺地に「あつみ左近」の文字が染められています。渥美家は代々、源五郎を名乗りますが、2代目と3代目の幼いころの名前が左近でした。
 正方形の旗は、馬印と考えられます。馬印というのは武将の所在を示す目印として、武将の馬の側に立てられたものです。この馬印は絹製で、紺地に中央には太陽をさす日輪、その右側に渥美家の当主が代々名乗る「あつみ源五郎」が、それぞれ紙の上に金箔を押し、糸で縫い付けられています。先ほどの幟とは違い、竿が入れられるように、右側と上部とは袋縫いされています。いずれも、渥美家の子孫の方によって、今まで大切に守り続けられてきました。
 和歌山県立博物館では、これからも近世和歌山の歴史と文化を伝える貴重な文化財である、紀伊徳川家や家臣に関わる美術工芸品や歴史資料について、積極的にその所在確認や収集に努めていきます。関連する情報をご存知の方があれば、博物館に情報をお寄せ下さい。
 企画展「紀伊徳川家の家臣たち」は、明日(13日)までです。次回の夏休み企画展「文化財に親しもう!」は、7月19日(土)から始まります。
(主任学芸員 前田正明)
→企画展「紀伊徳川家の家臣たち」
→和歌山県立博物館ウェブサイト

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