粉河寺展コラム
「粉河観音の鞘付帯と紅袴」
粉河寺の千手観音は、童子に姿を変えて現れ願いをかなえてくれる「生身(しょうじん)」の観音として信仰されました。その霊験あらたかな観音の由緒を記した粉河寺縁起に、粉河観音独特のある特徴的な姿が語られています。河内国の佐大夫の子が重い病気にかかり、童行者がやってきて千手陀羅尼を唱えるとたちまち平癒した。お礼の品を断り、ただ鞘を付けた帯だけを取り粉河に去ってしまった。佐大夫が尋ねて行くと、庵の中にまつられた千手観音像の施無畏手(右側一番下の手)にあの鞘付帯を持っていた、というのです。
粉河寺の縁起は、鎌倉時代になって増補され、33話の霊験譚からなる粉河寺観音霊験記が編纂されました。その中にも粉河観音の姿に関わる物語があります。平安時代の初め、在原業平が天皇への捧げ物を用意できずに困っていたところ、粉河寺の童がこの世の物とは思えない妙味の菓子を持参し、助けられた。妻の北の方がお礼に紅の袴を渡したが受け取らないので、肩に掛けた。のちに夫婦で粉河寺に行き観音像を拝見したところ、紅袴が肩に掛かっていた、というものです。
この鞘付帯と紅袴を持った観音の図像が二つあります。一つは国宝・粉河寺縁起、もう一つは粉河寺に伝わる千手観音二十八部衆像。しかしその図像は大きく異なります。右手施無畏手に鞘付帯、肩に紅袴という粉河寺の縁起内容に正確なのは後者の方なのです。縁起は信仰の核となる大切なもの。国宝絵巻の制作にあたっては、寺家方は関与していないと見られます。粉河寺縁起研究の新たな着眼点は、観音の姿そのものにあったのです。
国宝粉河寺縁起の粉河観音図像
右:千手観音二十八部衆像の粉河観音図像