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考古学少年は今も心の中に

和歌山県立博物館友の会マイミュージアムギャラリー
第27回展示 「考古学少年は今も心の中に」
【出 陳 者】 伊東 史朗
【展示期間】 平成23年10月29日(土)~12月23日(金)
【出陳資料】 縄文土器・石器・貝殻・紡錘型土器
マイミュージアム27-1 マイミュージアム27-2
【資料をめぐる思い出】
「子どものころ、田の畔でひろった土器の小破片が何ものにも替え難く、古代人と直接会話を交したような昂奮を覚えたものでした。
 考古学少年は大学に進み、考古学を専攻したものの、抱いていた考古学のイメージとのギャップは大きく半年でやめ、仏像をおもしろく感じて美術史に専攻を替えました。
 それでも考古学への興味は折りに触れて持ち続けています。この縄文土器・石器・貝殻は、大学を卒業したあとの昭和40年代に、千葉県の加曽利(かそり)貝塚で拾ったものです。
 紡錘型土器は京都府警庁舎の工事現場で拾ったもので用途不明。ご存じの方、教えて下さい。」
【学芸員の一口メモ】

貝塚《名》 古代人が捨てた貝殻などが堆積した遺跡。日本では縄文時代のものが多く、おおむね当時の海岸線を示す。石器、土器のほか、人骨、獣魚角、骨角牙製品などの資料を残すので研究上重要。(日本国語大辞典)

 貝塚は全国に2300カ所ほどあるとされ、太平洋側を中心に分布します。関東地方に多く、加曽利(かそり)貝塚は日本最大級のものです。
 和歌山県内の貝塚としては鳴神貝塚(和歌山市)や高山寺貝塚(田辺市)があります。鳴神貝塚は明治28年(1895)に近畿で初めて発見された貝塚。高山寺貝塚は、出土した土器の形式が関東から九州まで分布するもので、高山寺式土器と名付けられ、縄文時代早期後半の標式遺跡として著名です。

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