紀の川市教育委員会からの依頼で、30日(日)に旧名手宿本陣(紀の川市名手市場641)で行われた名手本陣アカデミーで、「旧名手宿本陣と妹背家」というテーマで講演を行いました。会場は重要文化財の建物で、70人の参加者があり、盛況のうちに終わりました。
講演ではまず、名手地域の地形的環境を確認し、名手地域の中世から近世にかけての歴史を、これまでの研究で明らかになっている点を中心にお話しました。名手地域は、中世は名手荘という荘園で、高野山の荘園であったことから、当時のことを知ることができる史料が高野山に残されています。特に名手荘の村々と粉河寺領丹生屋村の間での名手川(水無川 みなせがわ)の水争い・椎尾山の帰属争いが有名です。近世は紀伊藩領で、粉河地域とともに上那賀と呼ばれて、伊都郡奉行・代官の管轄下にありました。伊都郡に大庄屋が設置されたとみられる寛永16年(1639)から、妹背家は名手組大庄屋を務め、その後も代々大庄屋を勤めています。妹背家の建物は名手宿本陣としても使われました。本陣は街道の宿場におかれた休泊施設で、参勤交代の大名や公用の藩の役人の宿泊などに使われました。名手は、和歌山と橋本との中間の位置にあり、昼の休憩に使われたようです。これまで行われた修理から明らかになった建物の変遷を紹介し、具体的に名手宿本陣が使われた事例を紹介しました。
最後に、現状では妹背家にはあまり資料は残されていませんが、市場村、さらに周辺地域の文化財の発掘をしていくなかで、名手宿本陣の歴史も明らかになるのでないかとお話しさせていただきました。
→和歌山県立博物館ウェブサイト
(主任学芸員 前田正明)