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弁慶の生まれ故郷は?―弁慶物語絵巻―

平安時代の終わりごろに活躍した人物に武蔵坊弁慶がいます。
大河ドラマ「平清盛」にも出てくる人物です。
この弁慶、ご存じのかたも多いかと思いますが、和歌山出身なんです。
この弁慶が生まれてから、源義経の家来となり、
奥州まで行く様子を描いた絵巻物が今回紹介する弁慶物語絵巻です。
弁慶物語絵巻によると、弁慶は熊野別当弁真(心)の子として生まれたたようです。
弁真
(弁真夫婦が若王子に子供を授かるように祈っているところ)
生まれてまもなく親に捨てられ、京都の貴族に拾われて育てられます。
その後、比叡山で修行をするのですが、乱暴者であったため、比叡山を追い出されてしまいます。
しばらく京都で暮らし、刀鍛冶・金細工師や有徳人をだますことなどをしていました。
弁慶襲う
(弁慶が熊野へいく修験者だと偽って、渡辺の有徳人に物乞いをし、
 それが受け入れられず、居直り蔵を襲う場面)
ただ、乱暴者ではあったのですが、自分が襲った有徳人が
盗賊に襲われそうになると助けてあげるなど、義理堅い一面もありました。
その後、諸国を修行のためにめぐったあと、
再び京都に戻ってきて、源義経と出会い、その家来になります。
そして、奥州へと旅だって行く。
弁慶物語はこのようなストーリーです。
ただ、当館で所蔵する弁慶物語絵巻は、
そのうちの前半の一部分しか残されていません。
しかも錯簡があり、話が連続していません。
そのため、残念ながら全体がわかりませんし、絵も部分的にしか残っていません。
(*上で紹介したストーリーは、別の本で確認できるもの)。
弁慶物語は、江戸時代以降色々な写本・版本が作成されていますが、
当館で所蔵するものは、詞書の部分を他の本と比較・検討してみたところ、
「慶長・元和古活字本」と言われる版本をもとに、
絵巻物化したものと思われます。
さて、先ほど弁慶は熊野別当弁真の子供だといいましたが、
実は別の言い伝えも残されいます。
それにともなって、弁慶の生まれ故郷についても、2つの候補地があるのです。
1つは田辺市、1つは新宮市です。
新宮説の根拠は、今回紹介している弁慶物語絵巻です。
弁慶の父親である弁真を祀る大王子が、新宮市の長徳寺にあったと
江戸時代の記録に残されています。
また新宮市の隣にある三重県紀宝町には、弁慶産屋の楠跡も残っております。
このように、新宮市周辺には弁慶に関わる伝説地が残されています。
長徳寺   弁慶産屋楠跡
(長徳寺 ここに大王子という神社があ    (弁慶産屋の楠跡)
 り、弁真を祀るという伝説があります)  
一方、田辺説の根拠は、御伽草子の橋弁慶に、
弁慶の父親は熊野別当湛増とあることと関わります。
この湛増は闘鶏神社の大福院にいました。
JR田辺駅前には大きな弁慶の銅像も建っています。
闘鶏神社弁慶像  大福院
(闘鶏神社の弁慶・湛増の銅像)      (大福院)
弁慶社  弁慶産湯井戸
(闘鶏神社境内にある弁慶社)       (市役所前に移し復元された弁慶井戸)
弁慶腰掛け石
(八坂神社境内にある弁慶腰掛け石)
このように、和歌山県内では弁慶の生まれた場所の候補地が2つありますが、
今のところ、どちらとも決められない、というのが現状です。
2つの弁慶の伝説地をめぐってみて、
その謎解きをしてみてはいかがでしょうか?
(学芸員 坂本亮太)

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