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コラム 海御座船と川御座船

寛永12年(1635)の武家諸法度で、江戸幕府は諸大名に対して、500石積以上の軍船の建造を禁止しました。
しかし、中国・西国筋の大名は参勤交代で大坂まで海路をとるため、
500石積の制限内で藩主が乗船する御召関船(海御座船)を建造しました。
紀伊藩では、和歌祭の「船舞」にも使用されました。
河川用の御座船は、川御座船と呼ばれました。
35 川御座船「龍門丸」扁額  D81_0032a-k 川御座船「龍門丸」扁額 宝来山神社蔵〔展示番号35〕
36 龍門丸蓬莱丸図DSC06629  龍門丸蓬莱丸図のうち龍門丸 個人蔵〔展示番号36〕
その特徴は平底の船体の上に豪華な大屋形を設け、帆走設備はなく、推進に櫓や棹を使用しました。
川御座船がどのような形で使用されていたかはよくわかっていません。
参勤交代の際、大坂・伏見間の淀川の往復に使用したのではないかとも考えられます。
つづく
次回のミュージアムトークは7月9日(日)です。
(主任学芸員 前田正明)
→企画展「紀伊徳川家の家臣たちⅡ」

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