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コラム 大抜擢された野呂介石

寛政5年(1793)、野呂九一郎(介石)は紀伊藩士に取り立てられ、翌年三の丸に屋敷地が与えられました。
32 野呂九一郎先祖書・親類書DSC_2669 野呂九一郎先祖書・親類書 和歌山県立文書館蔵 〔展示番号32〕
紀伊徳川家10代藩主である徳川治宝に認められ、大抜擢されたといえます。
和歌山城下町絵図(文政6年)DSC05644 和歌山城下町絵図(部分) 和歌山県立博物館蔵 〔今回は展示していません〕 
屋敷の庭に老梅の木があったことから、「矮梅居」と呼ばれました。
33 墨竹図押絵貼屛風(部分) 野呂介石筆 墨竹図押絵貼屛風 右隻(部分) 野呂介石筆 和歌山県立博物館蔵〔展示番号33〕
文政11年(1828)、介石は82歳で亡くなり、養子の周助(介宇)が跡を継ぎました。
周助は切米25石で御大番役を命じられています。
その後、天保7年(1836)ごろ屋敷替えが行われ、野呂家の屋敷地は三の丸から広瀬の武家町の一角に移ったとみられます。
つづく
次回のミュージアムトークは7月9日(日)です。
(主任学芸員 前田正明)
→企画展「紀伊徳川家の家臣たちⅡ」

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