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コラム 大名になった加納久通

加納久通(1673~1748)は、紀伊藩士加納政直の次男として和歌山で生まれ、吉宗の側近として活躍しました。
27 加納家系図DSC_0493 加納家系図 和歌山県立博物館蔵 〔展示番号27〕
  
享保11年(1726)、所領(伊勢国・上総国・下総国)が1万石となり、大名格となりました。
当初陣屋は伊勢国東阿倉川(三重県四日市市)に置かれました。
兄政信の五男久堅を養嗣子に迎え、久周→久慎→久儔→久徴と続きました。
久儔の時、陣屋は上総国一宮(千葉県一宮町)に移されました。
加納家は定府して、代々幕府の要職に就いています。
加納家文書のなかに、加納久徴(1813~1864)が和歌山の加納平次右衛門にあてた手紙があります。
加納久徴書状DSC_0628 加納久徴書状 和歌山県立博物館蔵 〔今回は展示していません〕
このなかで、安政2年(1855)に「江戸表前代未聞之大震」(安政江戸地震)があり、
「御城内」(江戸城)は異常なかったが、「赤坂御館」(紀伊藩中屋敷)は破損が多かったと記されています。
つづく
次回のミュージアムトークは7月9日(日)です。
(主任学芸員 前田正明)
→企画展「紀伊徳川家の家臣たちⅡ」

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