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コラム2(お城と城下町の話)

「お城」って何をするところ?
 
手取城 模型写真 欠作町より御城内迄までの図DSC_2288 (画像をクリックすると拡大します)
(手取城復原模型)        (「欠作町より御城内迄の図」に描かれた和歌山城)

 和歌山城のように、平地に建っている城を「平城」(ひらじろ)といいます。
これに対して、山の地形を利用して、山頂や尾根筋などに建てられた城は「山城」(やまじろ)といいます。

 和歌山城が造られる前の戦国時代までの武士は、
平時はふもとにある居館に住み、戦時に防御施設である山城に移りました。
山城の方が、敵の侵入を防ぐのに適していたからです。
例えば、玉置氏の居城であった手取城は、日高川町和佐にある紀州最大規模の山城で、
そこから日高平野を一望の下に見渡すことができます。
遺構は、ほぼ完全なかたちで保存されています。

 ところが、江戸時代になって、「戦いの時代」から「平和な時代」になると、
城は交通の便利な場所に築かれ、政治をする場としての機能が強くなってきました。
現在、和歌山城の二の丸庭園と呼ばれる場所には、二の丸御殿と呼ばれた大きな建物がありました。
この二の丸御殿は藩主が住む場所であるとともに、藩の政治が行われる場所でもありました。

次回(8月11日)のテーマは、「和歌山城の天守閣は火事にあっていないの?」を予定しています。 
(主任学芸員 前田正明)

和歌山城と城下町に住む人々
和歌山県立博物館のウェブサイト