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コラム 根来寺の今と昔? 謎の記号が意味するもの

理性院の名と謎の記号が記された朱漆塗の椀 画像クリックで拡大します。


 根来寺旧境内の発掘調査では膨大な量の遺物が出土するが、そこに何らかの文字が記されていれば、その遺物の用途や形態の変化という情報以外にも、その所有者や使用者の個別名など、より多くの具体的な情報をそこから引き出すことができる。
 しかし、根来寺の旧境内から出土した遺物の中には、文字のほかに、今ではその意味を理解しにくい、記号のようなものが記されていることがある。たとえば、1986年度の発掘調査では、底の裏に「理性院」という文字が漆によって書かれた朱漆塗の椀5点が出土したが、この文字に並べて、蝶の羽もしくは結んだリボンのような記号が記されていた。調査当時は、こうした記号が見出されたのは初めてのことであり、ほかの文字が記された椀にはこの記号が書かれていなかったこともあって、この記号は理性院そのものを表す記号ではないかと解釈されていた。
 ところが、その後、同じ記号が記された遺物はほかの場所の発掘調査でも次々に出土した。たとえば、「延命院」と記された朱漆塗椀が出土した遺構からは、篦によって同じ記号が刻まれた備前焼の大甕が出土しているし、味噌を貯蔵していたことで話題となった土蔵の遺構からも同じ記号のある青白磁八角坏や味噌桶などが出土するに及んで、これを単に理性院など単一の院家を表す記号と理解することは難しくなった。
 この記号が何を示すものなのか、その答えはいまだ謎のままである。ただ、今のところ、この記号が記された遺物は、根来寺旧境内の中でも、蓮華谷と呼ばれるエリアの中で出土することが多い。戦国時代の根来寺では、戦乱の時など、谷ごとに結束して行動することがあったが、この記号はそうした谷ごとのまとまりを象徴するシンボルマークのようなものであったのかも知れない。(学芸員高木徳郎)
企画展 根来寺の今と昔
和歌山県立博物館ウェブサイト

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