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スポット展示 紀州本・川中島合戦図屏風のウラ

 和歌山県立博物館2階で開催しているスポット展示では、平成24年度は「文化財のウラ、見ませんか?」をテーマとしています。
 今回の展示では、屛風のウラ側に注目します。屛風や襖には、表面がゆがんだり、皺〈しわ〉がよったりしないようにするため、絵の裏側に何層にもわたって反古〈ほご〉紙を貼り付けています(これを裏張〈うらばり〉・下張〈したばり〉と呼びます)。上杉謙信と武田信玄が一騎打ちをする場面を描くことで有名な紀州本・川中島合戦図屛風のウラ側には、どのような古文書が貼り付けられていたのでしょうか?下張に使われていた新発見の古文書を紹介し、下張文書の価値と魅力に迫ります。
川中島一騎打ち
(紀州本・川中島合戦図屏風の上杉謙信と武田信玄の一騎打ち)
◇場所   和歌山県立博物館 2階スポット展示コーナー
◇期間   平成24年(2012)11月2日(金)~12月14日(金)
◇展示資料 紀州本・川中島合戦図屏風 右隻(複製) 
      紀州本・川中島合戦図屏風下張文書 2点
なお、このスポット展示は、職場体験学習に来てくれた和歌山市立河西中学校・有功中学校の生徒が手伝ってくれました。その様子をパネルで紹介しています。
◇紀州本・川中島合戦図屏風の特徴
 上杉謙信と武田信玄が川のなかで一騎打ち。この紀州本・川中島合戦図屛風は、非常に珍しい場面を描くことで有名です。天文二十三年(一五五四)の川中島(長野県長野市)における戦いの様子を描いています。この屛風は、紀伊藩初代藩主であった徳川頼宣が、越後流の軍学者宇佐美定祐に監修させて作らせた屛風だと考えられています。この屛風の絵の下(裏側)に、古文書がびっしりと貼り付けられていました(それを下張文書と呼びます)。下張文書は、全部で古文書の収納箱で六箱分ありました。 今回はそのうちの一部を速報的に紹介します。
下張張合
(このような反古紙がたくさん使われています)
◇屛風の下張文書とは?
 屛風や襖には、表面がゆがんだり、皺がよったりするのを防ぐために、絵の下(裏側)に何層にもわたって反古紙(不要になった古文書)を貼り付けています。その反古紙のことを下張(裏張)文書と呼びます。江戸時代以前、紙は非常に貴重だったため、その屛風や襖の下張の紙は、作成や修理を発注する人が準備することになっていました(まれに表具屋さんが準備したり、古紙を買うこともあったようです)。白紙が使われることも稀にありましたが、ほとんどの場合、不要になった古文書(反古紙)が再利用されました。
◇下張文書はなぜ大事なのか?
 使用されている下張文書の年代がわかれば、屛風や襖が作成、もしくは修理された時代がわかります。また、屛風の下張に使う紙(反古紙)は、作成・修理などを発注する人が準備することになっていました。そのため、下張文書の内容を読み解くことによって、屛風の持ち主、スポンサーがどのような人だったのか、などがわかるのです。このように屛風の下張文書は、屛風の来歴を知るうえでとても貴重な情報を我々に提供してくれます。また、時には思いがけない古文書を発見することもあります。
◇戦国時代の古文書を発見!
 今回、紀州本・川中島合戦図屛風の下張文書を調べていたところ、天文二十年(一五五一)の古文書を発見することができました。その内容は、掃部太郎という人物が、梶取(和歌山市)の土地を五貫三百文で左藤大夫に売り渡した証文です。ここには、隣村の野崎(和歌山市)の人、根来寺(岩出市)と思われる蓮華谷重徳院が、土地売買の仲介(口入)をしていたことがわかります。そのほか、梶取に茶屋があったこともわかり、非常に興味深い内容です。
天文二十年売券小
(天文20年 掃部太郎下地売券)
◇紀伊徳川家に関わる古文書!
 下張には似た文書がたくさん使用されていました。そのうち特徴的なのは、左右に綴じ穴がある古文書です。もとは袋綴の冊子状だったと思われます。そして、古文書の中身を見てみると、いずれも、まず日付があり、それに続けて(紀伊徳川家側室・娘などの)忌日・神社へのお供え物などが記されています。古紙を買い集めたという可能性も捨てきれませんが、この古文書は恐らく紀伊徳川家と関係の深い人物の手元にあった記録だと考えたいと思います。そうすると、紀州本・川中島合戦図屛風が「紀伊徳川家ゆかりのもの」という推測がなされてきましたが、この下張文書の発見により、その可能性が少し高まったと言えるかもしれません。
冊子01  冊子02
(明脱院や芳寿院、清泰院など紀伊徳川家の側室・娘の忌日にお供え物をしています)
(下張文書では、これと同じ種類の冊子がたくさん使われていました)

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