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神野真国荘問注文書等目録(館蔵品559)

神野真国荘問注文書等目録(館蔵品559)
こちらも文化遺産オンラインで紹介しているものです。
神野真国荘問注文書等目録(文化遺産オンライン)
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【釈文】
(端裏書)「神野真国問住/文書等目録」
宣旨正文三通
宣旨請文案二通
神野真国庁御下文案一通
院宣陳状案一通
問注日八幡方ヨリ取出宣旨案一通
在庁注文案一通
史長者上人御房御文返事一通 副弁返事一通
  已上十一通
 文治二年十月廿三日  (花押)
(異筆)「廿四日請取了(草名)」
【写真図版及び解説】
・『きのくにの歴史と文化―和歌山県立博物館館蔵品選集―』和歌山県立博物館、2004年
・『中世の村をあるく―紀美野町の歴史と文化―』和歌山県立博物館、2011年
【活字】
・坂本亮太・末柄豊・村井祐樹編『高雄山神護寺文書集成』(思文閣出版、2017年) 31号(p.60)
【内容】
鎌倉時代初頭に、神護寺の荘園であった神野・真国庄(現在の紀美野町)と、
石清水八幡宮の荘園であった野上荘(現在の紀美野町と海南市に及ぶ)との間で、
境相論(境界争い)がおこった際に、神護寺からかり出した証拠となる古文書を列挙した目録です。
もとは神護寺に伝来したものと思われます。
「問注」とは、平安時代~鎌倉・室町時代にかけての裁判において、官司が原告・被告の主張を問い注す、
すなわち両当事者を訊問して、その結果を記録することを意味します。
文治2年(1186)の境相論は、神護寺復興に尽力した文覚の弟子である上覚が、
佐々小河村(現在の紀美野町福井付近)を押領し、
石清水八幡宮の神人を殺害するなどのことが起こっていました(早稲田大学図書館所蔵文書)。
ただ、ここで提出されたであろう各種書類が、
現在残る文書のうちのどれに該当するのかなど、
まだ十分に検討がなされていません。
(当館学芸員 坂本亮太)

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