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粉河寺展コラム「粉河の聖を舳に立てて、乗せて渡さん極楽へ」

粉河寺展コラム
「粉河の聖を舳に立てて、乗せて渡さん極楽へ」
 平安時代末期、後白河法皇(1127~92)が今様という歌謡を集約した『梁塵秘抄』の中に、「大峰聖を舟に乗せ、粉河の聖を舳に立てて、正きう(書写)聖に梶とらせてや、乗せて渡さん、常住仏性や、極楽へ」という一曲があります。大意は、大峰・粉河・書写の行者(聖)が、人々を阿弥陀如来の住む極楽浄土へ導いてくれる、という内容です。ここに見えるのは、山中で修行する修験の要素と、極楽往生を願う念仏の要素が、溶け合うように重なる様子です。そうした聖の拠点として、紀の川市の粉河寺は都にまで知れ渡っていたのです。
 本尊の千手観音への信仰だけでなく、修験や念仏の信仰の拠点でもあった粉河寺の重層的な信仰のあり方を示してくれる仏像が、かつての寺領内にあります。
 粉河寺から北方に直線距離で2㎞ほど、葛城山系の中腹に、中津川行者堂(極楽寺)があります。今年6月に日本遺産となった「葛城修験」を構成する重要拠点です。役行者像を本尊とするこの行者堂には、平安時代後期に造像された阿弥陀三尊像が伝わって来ました。中尊の像高83.3㎝、両脇の菩薩像は正座した姿で、阿弥陀如来が往生者を極楽へと迎えに来た姿を表しています。修験の拠点である中津川が、かつて粉河寺の念仏聖の拠点でもあったことをこの三尊像が伝えています。都にまで轟いた粉河聖の実像に唯一接っすることができる貴重な仏像といえるでしょう。
 しかし残念なことに、和歌山県指定文化財にも指定されたこの三尊像は、1990(平成2)年に盗難被害に遭い、いまだにその行方をつかめていません。なんとしても取り戻し、中津川、そして粉河寺の歴史を未来へと伝えていかねばなりません。
三尊像(中津川行者堂)s
阿弥陀如来坐像及び両脇侍像 3軀 平安時代 中津川行者堂(極楽寺)藏 和歌山県指定文化財

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