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羽柴秀吉書状写(館蔵品262)

羽柴秀吉書状写(館蔵品262)
館蔵品の未紹介中世文書については、長文のもの、群として残されているもの以外は
概ね紹介できましたので、これからは少し既存の図録や史料集に載っているものも
紹介していきたいと思います。
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【釈文】
去四月十九日書状、今月十五日至大坂到来令
披見候、殊為音信刀一腰盛光〈并〉大鷹〈二〉被送上候
祝著候之一段見事候間、別而令秘蔵候、随而去年
少々申事有之刻、紀州根来・雑賀催一揆、企慮
外働条、去三月廿一日出馬、五三日中諸城責崩、
悉根来・雑賀奴原不残依刎首候、泉州・紀州・
熊野浦迄平均ニ申付候、同四国長宗我部、彼悪逆
人与令同意付、為成敗、拙弟秀長并毛利右馬頭両人
申付、四国江乱入、過半任本意候、近日可刎首義案内候、
左様ニ候へ者、西国筑紫鎮西迄不残任覚悟、明隙候条、
来月廿日比ニ北国乍見物秀吉令発足、越中有之佐々
内蔵助企悪逆候条、先手之者可申付候、連年
富士山一見望候間、其刻可遂初面候、其表之義、今少々
間気遣尤候、何之道にも義重事令馳走、可任存分候
条、可心安候、早速人数等入候者、景勝江可被申越候、自此方
堅申合候間、不被残心底尤候、委細江庵江申渡候、謹言
       六月廿五日    秀吉
 秀吉任当□関白位      佐竹殿
【関連活字】
・『大日本史料』11-16
・『豊臣秀吉文書集』2 1458号
 これら史料集では、東京大学史料編纂所所蔵のレクチグラフ(成簣堂古文書 佐竹文書」)
 が掲載されており、当館所蔵資料はその写しと思われます。
 ただし、文字に若干の異同あり。
【写真図版】
・『きのくにの城と館―紀中の戦国史』和歌山県立博物館、2014年
【内容】
天正13年(1585)3月、羽柴秀吉は紀州攻めをおこないました。
この文書は、秀吉が紀州攻めの後の動向について、
常陸の佐竹義重に伝えたものです。
根来・雑賀が一揆を催したので出馬し、諸城を攻め崩し、
雑賀衆の首を悉く刎ね、熊野まで平定し、
和泉・紀伊・熊野はほとんど秀吉の支配下に入ったと伝えています。
またその後、謀反人と内通している長宗我部氏の首もじきに届くとし、
さらに続けて北陸見物もかねて越中に出張し、鎮西までも攻める予定であると述べています。
紀州攻めから、四国攻め、越中攻めなど、秀吉の天下統一に向けた動きを知ることができます。
(当館学芸員 坂本亮太)

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