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安楽寺別当祐聖置文(館蔵品1016 紀伊国名草郡田屋村森家文書のうち)

安楽寺別当祐聖置文(館蔵品1016 紀伊国名草郡田屋村森家文書のうち)
田屋村(現在の和歌山市田屋)に居住した森家に伝来した文書です。
当館で所蔵するのは6巻(6点)で、ここで紹介するのはそのうちの鎌倉時代の文書1点です。
森家文書1_1(前半) 
森家文書1_2 (後半)
森家文書1_3 (裏書)
※画像はいずれもクリックすると拡大します。
【釈文】
記置坪付之事
  合
安楽寺垣内 弐段堂免也、此内〈壱段ハ/堂敷也〉
小者〈字藤井/買得ナリ〉〈東限地類、南限大野殿作/西限大道、北限溝〉
参百歩、字藤井〈東限田屋殿作、南限溝/西限大野殿作、北限溝、育学位牌田〉
壱段、字池田〈東限溝、南限大田屋敷名田見通/西限道三辻、北限道蓮房作、北ハ直也〉買得也
大国請田、字酒部等浦〈東ハ地類、南ハ地類/西溝、北地類、買得也〉
壱段、丸田〈東限ク子、南限堀/西限ツユノ溝、北限飯島殿ノ作〉昌信房買得也
壱段、ツユノ南ツメ〈東限溝、南岸カキル、道法ノ位牌田也/西限阿加女作、北限フチ、道蓮カ作〉
壱段、先信田〈東限大田屋敷名田、南限八講免畠/西限西名作、北限ク子、シンカイナリ〉買得也、
壱段大 買得田、同畠壱段小、〈東限大堀、南限流堀/西限江川、北西名作〉
壱段、金屋〈東限江川、南限西名作/西限大通、北限法円作〉是モ買得也
大〈竹原田/買得也〉〈東限ミソ、南限マツラカ作/西限大道、北限地類〉国請田ナリ
小、西ハシ〈東限正法寺ノ堀橋ノ下ツメマテ、南限四郎左衛門藪/西限橋、北限地類〉
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壱段小油免観聖之買得也〈東限道、南限岸/西限ク子、北限大堀〉
壱段、字〈宗重ノ郷/油免也〉〈東限河端殿ノ作、南限対馬殿ノ作/西限地類、北限法円作〉
小同、字スチカイ〈東限法円作、南限上座作/西限地類、北限西信作〉買得也
壱段小〈買得也/字上座垣内、堂免也〉〈東限地類、南限井溝/西限道覚ノ祖チ円覚房作〈北限/地類〉〉
弐段、阿加女垣内、堂敷也、四至、在四方
小、牛神〈東限石見守殿作、南限円名作/西限円名作、北限横道、教昌房買得也〉
右件別当職進退田畠等者、親父浄玄之
養父故左近入道殿〈法名西仏房〉当郷御
代官之時、被立置彼免田等、於別当職者、
譲与于養子浄玄了、而間、為越後法橋之
御房御計、大仲能成〈弁之殿〉相副御判而、
令補任彼浄玄了、仍為後代之、注置状、如件、
  永仁六年〈戊戌〉二月六日  別当僧祐聖(花押)
山四至アリ、八幡宮敷地等以上五段半也、
然処ニ、かわらの神御社之艮方三町巍之
フモト、島田殿ノ兄四郎左衛門尉屋敷也、〈ホウラクカ尾/乾方マテ〉
(裏書)
「堂内之寺役等外者、不可有余公事者也、依於
 田屋末孫不可有違乱煩者也、然処ニ、当 
 寺大日如来者、日本朝敵重眼之三尊〈ニテ〉
 御在也、故田屋六郎左衛門尉遁一命、依来
 彼所奉仰云々、時縄起請文、         」
【活字】
『和歌山市史』第4巻 鎌倉時代167(p418~419)
『和歌山県史』中世史料二 森家文書
で紹介されています
【内容】
永仁6年(1298)に安楽寺別当祐聖が、別当職とそれに附属する田畠を書き上げ、養子淨玄に譲り渡したものです。
田屋氏は、在庁官人・西国御家人であったと思われ、鎌倉時代の田屋の景観、
菩提寺の規模・所領がわかる資料として貴重です。
この史料のなかには、「大堀」「堀橋」「大道」「溝」などの記載もあり、
田屋氏の本拠の様相も推測することができます。
なお、東に2㎞ほどいったところには方形の堀を伴う城館跡(東城跡)が近年発見されています。
この地域周辺(国衙近傍)には同じように、西国御家人・在庁官人層が、
現在の大字(江戸時代の村)に近い単位で割拠し、それぞれが拠点を築いていました。
ここで紹介する田屋氏もそのうちの一つであったと思われます。
安楽寺は天正13年(1585)秀吉の紀州攻めの際に灰燼に帰し、以後廃絶したようです(『紀伊続風土記』)。
裏書きによると、安楽寺の大日如来は「日本朝敵重眼之三尊」で、
故田屋六郎左衛門尉が一命を遁れて、田屋氏が当所に来たことにより祀るようになったと、
その由緒が記されている点も興味深いものがあります。
また、この史料で注目したいのが、「位牌」と出てくることです。
「位牌」という文言のかなり早い事例ではないかと思います。
国史大辞典や日本国語大辞典などでは、
室町幕府将軍の「位牌」に関わるもの(「園太暦」など)が早い例のようです。
ただし、北条時頼に関わるものもあるといいます(「塵添壒囊抄」)。
ここに出てくる「位牌」がどのようなものなのか(地域への浸透)など、
あらためて検討してみる必要もあるのではないかと考えています。
なお、館蔵品の森家文書には、このほか慶長~寛永年間の文書5通があります。
(当館学芸員 坂本亮太)

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