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羽柴秀吉朱印状(館蔵品976)

羽柴秀吉朱印状(館蔵品976)
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【釈文】
来三月廿一日
至紀州表可
出馬之条、人数等
馳走候て、廿一日
已前至大坂被遂
着陣肝要候而
進被下申候也
 二月十三日 秀吉(朱印)
【活字】
『豊臣秀吉文書集』2 1335号
【写真図版】
『きのくにの城と館―紀中の戦国史―』和歌山県立博物館、2014年
『戦乱の世から泰平の世へ―16~17世紀の紀北・泉南地域―』和歌山県立博物館、2016年
【内容】
羽柴秀吉は、天正13年(1585)3月21日に数万とも言われる大軍を率いて、大坂城を出発しました。
大軍で泉南の諸城を落城させつつ紀州攻めに着手し、
同月23日には根来寺・粉河寺を焼き討ちにし、
4月末までには太田城に籠もる雑賀衆に加え、高野山も屈服させ、紀州制圧を遂げました。
この史料は、羽柴秀吉が来たる3月21日に紀州へ出陣するにあたり、
事前に大坂に着陣するようにと指示を出したものです。
残念ながらこの文書では宛先が欠けており、
誰に出されたものかはわかりません。
ただ、小早川家・一柳家・中川家にも同内容の文書が伝えられており、
紀州攻めにおいて広範に武将が動員されていたことがわかるとともに、
この文書も元来、一柳家や中川家に匹敵するような勢力に出された文書かと思われます。
(当館学芸員 坂本亮太)

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