昨日(24日)、かつらぎ町の笠田ふるさと交流館で、記念講演会が行われました。
講師は、九州大学教授の服部英雄先生で、「紀伊国カセ田庄の歴史と文覚井」という演題で講演していただきました。笠田地域の方々を中心に、85人の方の参加がありました。
服部先生は、聞き取りや現地に残る古文書などの現地調査を重視し、調査成果をもとに歴史的景観の復原を行って来られました。今回の講演会でも、これまで行って来られたカセ田荘調査を成果をもとにお話いただきました。
まず、二枚あるカセ田荘絵図の特徴をお話いただきました。
次ぎに、聞き取り調査で得た証言をもとに、当時の水争いの状況が再現され、「水がいかに重要か、先人の苦労」を具体的にお話いただきました。
そして、文覚井一ノ井の流域である大字笠田中にある3か所ある一ノ井の分水口が、永禄3年(1560)の史料に出ていることなどが紹介され、一ノ井が史料から裏付けられる貴重な用水路であることもお話いいただきました。
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この史料は、永禄三年カセ田荘用水配分定状と呼ばれ、現在の大字笠田中にある分水口が、「二王堂ノ西ノ戸」「二王堂ノ前ノ戸」「出口ノ戸」と呼ばれていたことがわかります。なお、展示ではこの史料を写真パネルで紹介しています。
さらに、今回原文書が確認された、文正元年の文書についても言及されました。この文書については、これまで写しでしか確認されていませんでしたが、様々な説が出されていました。この新発見の史料も是非、実物をご覧下さい。
紀伊国守護畠山家奉行人奉書(きいのくにしゅごはたけやまけぶぎょうにんほうしょ)
紙本墨書 縦28.1㎝ 横47.1㎝
室町~江戸時代(15~17世紀)
宝来山神社蔵
最後に会場からの質問があり、「カセ田荘の人々は、なぜ山を越えた穴伏川からわざわざ水と取ろうとしたのか」「移村を潤す二ノ井は、かなり早い時期からあったのではないか」「カセ田荘と静川荘との領地争いに関わって、文覚上人の伝承がある」といった意見が出されました。
今回の講演会を通じて、地元のみなさんのカセ田荘の歴史に対する関心の高さが感じられました。
この特別展も残すところ1週間となりました。ご来館をお待ちしています。
次回のミュージアム・トークは11月30日(土)です。
→和歌山県立博物館ウェブサイト
(主任学芸員 前田正明)