和歌山県立博物館友の会マイミュージアムギャラリー
第9回展示 「赤岸鎮の石―弘法大師の踏みし足跡―」
【出陳者】 松山 義一
【展示期間】 平成20年12月13日(土)?平成21年2月20日(金)
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福建省・赤岸鎮の松山島
【資料をめぐる思い出】
「1992年11月、当時私が地元のお寺の総代をしていた関係で、高野山真言宗友好中国・香港の旅の一員として、弘法大師が日本から唐へ渡った際に到着した福建省の赤岸鎮(せきがんちん)を訪れました。
同行の方たちは、弘法大師が踏みしめた海岸の砂を集めていました。私は、その海岸から望むことのできる島とそっくりな石を見つけたので、弘法大師も見たであろうその島の思い出に、記念に拾ったのでした。
その後、島の名前を現地の方に尋ねたところ、「松山島(ソンシャンタオ)」だと教えてもらいました。自分の名前と同じと知って、感慨はさらに深いものとなりました。」
【学芸員の一口メモ】
延暦23年(804)7月6日、弘法大師空海は遣唐使の一員として、肥前国田浦(現・長崎県平戸市)から中国大陸へと出港しました。しかし船団は2日後、折からの暴風雨に遭遇し、第3船、第4船は沈没し、空海が乗った第1船は34日間の漂流の末、はるか南の福州長渓県赤岸鎮(現・福建省福州市赤岸鎮)に漂着しました。
この赤岸鎮で空海の文筆の才を伝えるエピソードがあります。漂着した遣唐使一行は海賊ではないかと疑いをかけられ、福州の担当役人閻済美(えんせいび)からの上陸許可が得られませんでした。そこで空海が大使藤原葛野麻呂(ふじわらのかどのまろ)に代わって上表文を記したところ、あまりの格調高い文章に閻済美は感銘し、上陸を許可したのです。この後遣唐使の一行は勅使に迎えられ、陸路長安へと向かったのでした。
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