博物館が資料を集めるとき、資料そのものの重要性をみきわめることも大切ですが、そうした資料の位置づけを知るうえで、大きな手がかりとなるのは、資料がどのように伝わってきたかということです。
このような、資料が伝わってきた経緯や、または、その資料をだれが持っていたのかを示すことを「伝来(でんらい)」や「来歴(らいれき)」といいます。古い資料の場合、資料そのものの価値はもちろんですが、この「伝来」や「来歴」が、とても重要な意味をもってくることも少なくありません。
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たとえば、上の写真の資料は、今回展示している煙草盆(たばこぼん)ですが、資料そのものを見るかぎり、和歌山と直接の関係はありません。けれども、これを持っていた家が、早川家という江戸時代に紀伊藩の藩士であった家なので、和歌山に関係のある資料として博物館にとっては貴重なものとなるのです。
こうした資料の伝来については、この煙草盆のように、使われていた家にそのまま残されている場合はよいのですが、ひとたびその家を離れてしまうと、伝来がわからなくなってしまうこともあります。
そのような場合に役立つのが、箱書(はこがき)や所蔵票(しょぞうひょう)です。資料を収納する箱などに、伝来や所蔵者についての経緯を書いたり、所蔵票と呼ばれる特定の札(ふだ)を貼ったりしたのです。
また、書物などでは、蔵書印(ぞうしょいん)というハンコや、蔵書票(ぞうしょひょう)というラベルが用いられました。
今回展示している資料の中にも、蔵書印やおされたり、蔵書票が貼られている書物があります。
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上に挙げたのは、東洋の医学や薬学にかかわる植物や生物・鉱物などを調べる本草学者であった紀伊藩士の畔田翠山(くろだすいざん、1792?1859)が、みずからの研究のために、さまざまな文献を集めて書き写した書物です。
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表紙におされている蔵書印から、伊藤篤太郎(いとうとくたろう、1865?1941)という近代の有名な植物学者が、一時所蔵していたことがわかります。
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一方、こちらの25冊からなる黄色い表紙の『群書治要(ぐんしょちよう)』という書物は、紀伊藩が、中国の有名な政治の本を、銅の活字で印刷したものです。
本の最初のページには、「南葵文庫(なんきぶんこ)」(南葵文庫については、前回のコラムをご参照ください)の蔵書印がおされ、
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本の表紙には、同じく南葵文庫の蔵書票が貼られています。
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すなわち、この『群書治要』は紀伊藩が所蔵していたものであることがわかるのです。
なお、展示では、赤い矢印を用いて、蔵書印や蔵書票についても解説を加えています。
また、資料の「伝来」の重要性については、分かりやすいキャプションでも紹介しています。
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会期も残りわずかとなりましたが、ぜひ、展示室で実際の資料をごらんになってください。(学芸員 安永拓世)
→企画展 新収蔵品展
→和歌山県立博物館ウェブサイト