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スポット展示 「梅椿図」のウラを読む

博物館の所蔵品を取り上げて、
1か月から2か月ごとのテーマに合わせて無料で公開する「スポット展示」。
一昨年(2010年)の5月からスタートしたスポット展示については→こちらをご参照ください。
今回からは、また少し趣向を変えて、
通常は展示することのない、文化財の裏側にスポットを当てて展示する
「文化財のウラ、見ませんか?」
というテーマで続けていこうと思います。
まず、最初の今回は、
「梅椿図」のウラを読む
【会期:2012年3月3日(土)~4月27日(金)】
梅椿図 徳川光貞筆 裏書き展示状況 (中)
(画像をクリックすると拡大します)
掛軸(かけじく)のウラには、通常は何も書かれていませんが、場合により、文字が書かれていることがあります。こうしたものを「裏書き(うらがき)」と呼びます。掛軸の裏書きに書かれるのは、たいてい、その掛軸が制作された事情や、伝わってきた経緯などです。特に、絵の中に筆者や年代を示す情報がない場合、裏書きが重要となります。掛軸を正確に伝えていくうえでも、こうした情報は不可欠なので、掛軸の本体と、付随する情報が分かれてしまわないために、掛軸のウラに直接書いたり、紙を貼(は)って書いたりしたわけです。
今回は、紀伊藩2代藩主の徳川光貞(とくがわみつさだ、1626-1705)が描いたとされる「梅椿図(うめつばきず)」の裏書きを読んでみましょう。
◆梅椿図 徳川光貞筆
(うめつばきず とくがわみつさだひつ)
梅椿図 徳川光貞筆 表 全景 (中) 梅椿図 徳川光貞筆 表 (中)
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   1幅
   紙本著色・裏書きは紙本墨書
   江戸時代中期(18世紀)
   (表台紙)縦31.4㎝ 横50.7㎝
   (裏書き)縦39.8㎝ 横63.5㎝
   和歌山県立博物館蔵
掛軸(かけじく)の表側は、梅(うめ)と椿(つばき)を描いた絵で、向かって右側の白い花が梅、中央の赤い花と左側の白い花が椿です。全体に描き慣れていない印象もありますが、彩色などは丁寧に施されています。ハート形の少し変わった画面の形状は、団扇形(だんせんがた)と呼ばれるもので、中国などで古く使われていた団扇(うちわ)の形です。画面の中に、絵の筆者を示すサインやハンコはありませんが、絵の裏に書かれている文章から、紀伊藩2代藩主の徳川光貞(とくがわみつさだ、1626-1705)が描いたとわかります。
◆絵のウラに書かれた裏書き
梅椿図 徳川光貞筆 裏書 (中)
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【翻字】
 紀伊国公泰山公 御真筆
  粉河観音山并庚申山江鹿狩
  御遊之砌折節雨中ニ而
  上丹生村山中勘右エ門宅ニ
  御滞留有之御慰梅椿杜丹
  水仙絵三牧被為遊一牧者
  猪垣鈴木五良四郎一牧者
  山中勘右エ門一牧ハ原庄左エ門
  被為下頂戴之
◆ウラからわかること
「紀伊国公泰山公」とは「対山公」のこと、つまり元禄15年(1702)に剃髪(ていはつ)した後の徳川光貞(とくがわみつさだ)を指します。光貞は、粉河(こかわ、現在の紀の川市)の観音山(かんのんやま)と庚申山(こうしんやま)へ鹿狩りに出かけたところ、雨が降り出したため、上丹生谷村(かみにうのやむら、現在の紀の川市)の山中勘右衛門(やまなかかんうえもん)宅に逗留(とうりゅう)し、その際に、「梅椿(うめつばき)」「牡丹(ぼたん)」「水仙(すいせん)」の三枚の絵を描いたようです。これら三枚の絵は、猪垣(いのかけ、現在の紀の川市)の鈴木五良四郎(すずきごろうしろう)、山中勘右衛門、原庄左衛門(はらしょうざえもん)の三名に与えたことも記されています。このように、絵の制作経緯や伝来経緯がわかる例はめずらしく、非常に貴重です。なお、表側の絵は、三枚のうちの「梅椿」に相当しますが、三名のうちの誰に伝来したのかは、はっきりわかりません。
◆徳川光貞(とくがわみつさだ、1626-1705)
徳川光貞は、紀伊藩初代藩主である徳川頼宣(とくがわよりのぶ、1602-71)の長男で、寛文7年(1667)に頼宣の跡を継ぎ、紀伊藩2代藩主となった人物です。藩の体制を整備するとともに、藩の財政状況を回復させるため、用水路を築いたり、新田開発(しんでんかいはつ)をおこない、紀伊藩の農業や経済を発展させました。また、文芸にも関心が深かったようで、紀伊藩主の菩提寺(ぼだいじ)である長保寺(ちょうほうじ)には、光貞が描いた絵も残されています。元禄11年(1698)に、長男の綱教(つなのり、1665-1705)へ家督を譲って隠居し、元禄15年(1702)には剃髪(ていはつ)して対山(たいざん)と号しました。なお、弟の松平頼純(まつだいらよりずみ、1622-1711)は、分家となり、紀伊藩の支藩である伊予(いよ、現在の愛媛県)西条藩(さいじょうはん)をつくった人物です。
今回から、大きなテーマが変わった「スポット展示」。
「文化財のウラ、見ませんか?」は、少し、実験的ではありますが、
通常の展示ではなかなか脚光を浴びない、文化財や資料の裏側を、
むしろメインで展示して、じっくり見てみようという試みです。
今回は、通常展示する掛軸の表側を写真で展示し、
通常は写真で紹介する裏側を表に向けて、実際に展示してみました。
このように、さまざまな形で、館蔵品の魅力や面白さを伝えていければと思っていますし、
館蔵品の新しい活用法を模索することも、学芸員の使命であると考えています。
今回の展示では、「やっぱり表が見たい」とか、「ウラこそ写真で充分だ」など、
さまざまなご意見があると思いますが、
お気づきの点などは、また、ご感想をお寄せいただければ幸いです。
そうした、みなさまの意見を、
少しずつ、今後の展示にもいかしていきたいと考えております。
今後とも、「スポット展示」を、どうか、よろしくお願いいたします。(学芸員 安永拓世)
→和歌山県立博物館ウェブサイト
→これまでのスポット展示

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