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大毘盧遮那成仏経疏(館蔵品369・370)

大毘盧遮那成仏経疏(館蔵品369・370)
369大毘盧遮那成仏経疏巻1(巻首) (巻一巻首) 369大毘盧遮那成仏経疏巻2(巻末) (巻二巻末) 369大毘盧遮那成仏経疏巻3(巻末) (巻三巻末)
369大毘盧遮那成仏経疏巻8(巻首) (巻八巻首) 369大毘盧遮那成仏経疏巻9(巻末) (巻九巻末) 369大毘盧遮那成仏経疏巻19(巻末) (巻一九巻末)
369大毘盧遮那成仏経疏巻9(巻末)奥書 (巻九奥書)
※いずれも画像はクリックで拡大します。
【刊記・奥書等】
(巻二刊記)「慶安二年〈己丑〉九月吉日、於高野山開板」
(巻四刊記)「建治三年〈丁丑〉七月六日、於金剛峯寺信芸書」
(巻四奥書)「以智積院御本、加点畢、秀珊」
(巻五刊記)「建治三年〈丁丑〉七月廿五日、於金剛峯寺信芸書」
(巻五奥書)「以智積院経蔵御本、加点畢、秀珊」
(巻六奥書)「以智積院経蔵御本而、写功了、秀珊」
(巻七奥書)「以智積院経蔵御本而、加点了、深仙房秀珊」
(巻八奥書)「以智積院経蔵御本而、書写了、深仙秀珊」
(巻九刊記)「建治四年〈戊寅〉正月八日、於金剛峯寺信芸書」
(巻九奥書)「智積院以経蔵御本而、加点了、秀珊」
(巻一一刊記)「建治四年〈戊寅〉二月四日、於金剛峯寺信芸書」
(巻一二刊記)「弘安元年〈戊寅〉四月二日、於金剛峯寺信芸書」
(巻一二奥書)「文精」
(巻一三刊記)「弘安元年〈戊寅〉八月廿二日、於金剛峯寺信芸書」
(巻一四刊記)「弘安元年〈戊寅〉後十月四日、於金剛峯寺信芸書」
(巻一五奥書)「以智積院経蔵御本、加点畢、秀珊」
(巻一六刊記)「弘安元年〈戊寅〉十一月十六日、於金剛峯寺信芸書」
(巻一七刊記)「弘安元年十一月晦日、於金剛峯寺信芸書」
(巻一八刊記)「弘安二年正月三日、於金剛峯寺信芸書」
(巻一九刊記)「弘安二年四月四日、於金剛峯寺信芸書」
【内容】
大毘盧遮那成仏経疏は、「大日経疏」とも略称される中国・唐代の仏教書で、大日経の根本注釈書です。
この史料は、主に中世末に刊行されたかと思われる高野版です。
→高野版(館蔵品253)
→大毘盧遮那成仏経疏(館蔵品254)
もご参照ください。
この資料は全20冊あり、いずれも粘葉装ですが、
①巻1・2、②巻3、③巻4~20の三種の版本が混在しています。
①(巻1・2)は慶安2年(1649)の版本、
②(巻3)は刊記等不明ですが雲母引の料紙を使用した版本、
③(巻4~20)は建治3年(1277)・建治4年・弘安元年(1278)・弘安2年の刊記(金剛峯寺信芸書)のある後印本を
智積院経蔵本でもって深仙房秀珊が加点したもの、
となっています。
表紙右下の蔵書者名を摺り消した(もしくは墨で塗りつぶした)あとがあります。
巻六・八・九・一一・一三・一六・一七・一九・二〇には、巻首に「文説」の朱書と印が捺されています。
いずれも蔵書者を表していると思いますが、詳細は突き止められていません。
(当館学芸員 坂本亮太)

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