熊野信仰とは何か(中)
古代の熊野では、地域の豪族の祖先の神として熊野川の上流や河口部に神々が祀られていた。また熊野では、奈良時代から山中で法華経を読み、その教えに従って修行を行う「持経者」とよばれる僧が多数いた。その修行は厳しく、命をすてて滅罪する捨身行も行われた。この持経者の山岳修行をルーツとするのが、のちの修験道である。熊野の神々は、この持経者を媒介として、次第に仏教と接近していったらしい。
この熊野の神々が熊野三山としてまとまり、熊野三所権現と呼ばれるようになるのは、釈迦が亡くなって二千年後に訪れる、仏の教えが薄れて人々に救済が及ばなくなると考えられた「末法」の世が近づいたころ。末法初年は、永承7年(1052)である。この時熊野の神々は、大きな変身を遂げている。
平安時代の貴族の日記『長秋記』長承3年(1134)条に、本宮の神・家津御子大神は、法形(僧形)で、本地仏は阿弥陀如来であると記されている。本地仏とは、神の本来の姿である仏という意味であり、そして僧形神は、神自身が仏教による救済を受けた存在であることを示す。本宮の神は、末法の到来と軌を一にして、阿弥陀如来と同体である僧形神と考えられ、その住まう地は現世の浄土と認識されたのであった。熊野三山は、末法の世に新しく作られた聖地なのである。(学芸員 大河内智之)
僧形に表された本宮の神・家津御子大神(右)
→世界遺産登録5周年記念特別展 熊野三山の至宝―熊野信仰の祈りのかたち―
→熊野三山の至宝展あれこれ
→和歌山県立博物館ウェブサイト