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博物館ニュース

コラム 海御座船と川御座船

寛永12年(1635)の武家諸法度で、江戸幕府は諸大名に対して、500石積以上の軍船の建造を禁止しました。 しかし、中国・西国筋の大名は参勤交代で大坂まで海路をとるため、 500石積の制限内で藩主が乗船する御召関船(海御座船)を建造しました…

UPDATE:2017.07.05

コラム 大抜擢された野呂介石

寛政5年(1793)、野呂九一郎(介石)は紀伊藩士に取り立てられ、翌年三の丸に屋敷地が与えられました。  野呂九一郎先祖書・親類書 和歌山県立文書館蔵 〔展示番号32〕 紀伊徳川家10代藩主である徳川治宝に認められ、大抜擢されたといえます。…

UPDATE:2017.07.05

コラム 大名になった加納久通

加納久通(1673~1748)は、紀伊藩士加納政直の次男として和歌山で生まれ、吉宗の側近として活躍しました。  加納家系図 和歌山県立博物館蔵 〔展示番号27〕    享保11年(1726)、所領(伊勢国・上総国・下総国)が1万石となり、大…

UPDATE:2017.06.27

コラム 紀伊藩士加納家について

加納家は、三河国加納村(現在の愛知県豊田市)に居住した松平泰親(泰親から7代後が徳川家康)の6男久親が始まりとされます。  加納家系譜 和歌山県立博物館蔵 〔展示番号26〕 慶長13年(1608)、加納平右衛門久利は家康から200石の知行が…

UPDATE:2017.06.27

コラム 紀伊藩士三浦家について

三浦家はもと平氏の流れをくみ、6代為通の時、相模国三浦に居住し、「三浦姓」を名乗りました。 のち安房国に移ると「正木姓」に改名し、為春の代に「三浦姓」に復したといわれています。 為春の異父妹が徳川家康に仕え、頼宣を産むという縁故もあって、 …

UPDATE:2017.06.17

コラム 家紋瓦と系譜書

家紋は中世以来、戦場での敵味方を識別するために旗や幟に家の印(「旗紋」)をつけ、その存在を明らかにするものとして使用されました。 上級武士の場合は、陣幕などに自家の紋(「幕紋」)をつけた場合もあったようです。 家紋は、まさに戦う際の団結の象…

UPDATE:2017.06.17

コラム 滴水瓦と朝鮮侵略

滴水瓦とは朝鮮半島に由来する軒平瓦の一種で、逆三角形の瓦当部をもっているのが特徴です。 この滴水瓦は、和歌山城内の発掘調査でも出土しています。 滴水瓦が日本に伝わるきっかけとなったのは、豊臣秀吉が行った朝鮮侵略(1592年の文禄の役〔壬辰倭…

UPDATE:2017.06.17

コラム 紀州東照宮の造営と頼宣の家臣

慶長8年(1603)、頼宣は2歳で水戸城主となり、8歳で駿府城主となりました。  徳川頼宣像 和歌山県立博物館蔵 〔展示番号3〕 この間、頼宣は父・家康から、家康自身の家臣(「御付」衆)が分与され、家臣団の中核をなしていました。  徳川家康…

UPDATE:2017.06.17

平成29(2017)年度職場体験② 河北中学校

今年2回目の職場体験は、和歌山市立河北中学校です。 生徒さん2人が、6月13日(火)~15日(木)の3日間、職場体験に来てくれました。 【初日 6/13】 まずは、毎回恒例、朝礼での挨拶・自己紹介をしてもらい、 そのあと、博物館の施設見学を…

UPDATE:2017.06.15

平成29(2017)年度職場体験① 貴志中学校

平成29(2017)年度職場体験① 貴志中学校 今年も、職場体験(インターンシップ)の季節がやってきました! 第1回目は和歌山市立貴志中学校です。 生徒さん2人が、6月6日(火)~8日(木)も3日間、職場体験に来てくれました。 【初日 6/…

UPDATE:2017.06.14